【ネタバレ有り・感想】トイ・ストーリー4を観てきました

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トイストーリーとともに大人になった世代です。

最近私が子供の頃に大好きだったものの続編が出て嬉しい限り。

中には駄作になってしまうものがありますが、生きててよかった!好きでよかった!と思えるものがたくさんあります。

 

例えば

・ドラゴンボール

・ターミネーター

などなど。

 

子供の頃胸を熱くさせ、憧れたもの。

そしてトイストーリーもまたそのひとつ。

 

ドラゴンボールとかとはちょっと質が違います。

おもちゃの存在についてトイストーリー1、2で考えさせられ、トイストーリー3で大人になる時のおもちゃについて考えさせられました。

 

さて今回のトイストーリー4

どうだったか、感想を書きたいと思います。

 

【ネタバレ有り・感想】トイ・ストーリー4を観てきました

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トイストーリー4のメインはゴミから作られた「フォーキー」というおもちゃを巡る話。

そしておもちゃとは何か、おもちゃに命があるのはなぜか。

これまで触れなかったところに少し触れます。

 

これまでトイストーリー3作、暗黙の了解というかもう意識すらしていなかったかもしれませんがなんでおもちゃが動くのだろうか。

おもちゃは動くけど家具とかは動きませんよね。

 

今回のフォーキーとはゴミから作られたおもちゃです。

ゴミの時には動かず、おもちゃとして作られたら意志を持ちました。

 

このことにウッディをはじめ他のおもちゃは驚きます。

 

そのフォーキーは自分はゴミであるという自覚があります。

逆におもちゃである自覚はないのです。

 

でも、なんども書いているようにゴミだった頃は動きません。

おもちゃになった途端に動き喋るのです。

 

このことについて最終的に言及されませんがある意味では付箋のようなものかもしれません。

 

おもちゃとゴミの違い

そろそろ核心的なネタバレになります。

ネタバレが嫌な方はここでページを閉じてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもちゃとゴミの違いは何か。

 

フォーキーはボニーに作られたおもちゃです。

ボニーは慣れない幼稚園でフォーキーを作り、とても気に入っています。

おもちゃの中でいちばんのお気に入りになったのがゴミから作られたフォーキーなんです。

 

そのフォーキーはゴミであると自覚しているため、ゴミ箱に行きたがります。

とにかくゴミ箱に執着します。

そこでウッディはフォーキーにゴミではなくおもちゃである、ボニーのお気に入りでありそばにいる役割があると教えます。

ゴミ箱へ行くフォーキーに対して何度もボニーの元へ戻すウッディ。

 

やたらフォーキーをボニーの元に戻すという役割に固執するのです。

 

それが序盤からじわじわと伝わってきます。

 

そして物語の中盤にウッディが思っていることを口にします。

 

俺にはこれしかない

 

そう、ウッディは子供と遊ぶというおもちゃの役割がなくなりつつあり、ボニーにしてあげられることはフォーキーというおもちゃを守ることしかない。

ということです。

 

1おもちゃの役割ではなく子守というか何というか。

そこでちょくちょくフォーキーからゴミとおもちゃの違いについて問われます。

 

ウッディはボニーに対してすでにおもちゃという役割が薄れていることに気づいていました。

だからフォーキーを守るという新しい役割を見い出すことでポジションを確保したということです。

 

迷子のおもちゃ

トイストーリーシリーズを通じて重要視されているのが所有者。

誰(人間)のおもちゃであるかと言うのがステータスであるように描かれています。

 

売られているおもちゃ、景品は誰かの家に行くことを望んでいます。

 

トイストーリー3では所有者は保育園です。

つまり一応所属があるわけです。

 

しかし今回のトイストーリー4では野良おもちゃが出てきます。

 

おもちゃとして子供に、施設に属することなく完全に動物のように暮らしているのです。

私はこのおもちゃたちを覚醒組と呼んでいます。

 

覚醒組はいろんな世界を見てみたいと言う目的を持ち転々としています。

 

子供に属しているうちは子供の成長、一定ラインの成長する世界しか見ることができません。

学校までの世界しかおもちゃはともにできないのです。

 

その後はゴミになるか、他の子供に譲られて生活をリセットするか、といったところ。

 

しかし覚醒組になると子供部屋以外の世界を見ることができるのです。

その中でも本能的?に子供と遊びたいそうですが目的としては所属するわけではなくいろんな世界を回ることを目的としてます。

 

ここが通常のおもちゃと覚醒組の違いです。

 

ボニーに所属しているウッディからすれば覚醒組は迷子のおもちゃになるわけです。

 

ただ覚醒組がウッディの現状、フォーキーを守ると言うことを聞いた時、本当に迷子なのはウッディじゃないか?と言われます。

ウッディはおもちゃとしての本質を見失い、必要とされることを果たすだけの存在。

おもちゃの役割ではないのです。

 

覚醒組はおもちゃの役割がメインではありませんが自分の求める自由の元動いています。

そこがウッディと覚醒組との違いです。

 

子離れ

子供はいずれおもちゃから離れていきます。

おもちゃは子供から離れることはできない。

 

これはこれまでのトイストーリーに描かれてきた話です。

 

しかし今回覚醒組をはじめ、ウッディも子供から離れていきます。

自分のために生きる、と言うことだと思います。

 

これまで子供に人生(おもちゃ生)を捧げてきたおもちゃたち。

それがついに自分のために生きるように、自分の意思にしたがって生きるようになるのです。

 

これが結構泣ける。

劇場でもかなり泣いている人がいました。

私はギリ大丈夫。

 

30歳前後の人はだいたいトイストーリーとともに成長してきたと思います。

そのウッディがついに子供に尽くす役割を終える時がきたのです。

 

ウッディは最終的に覚醒組と一緒に世界を回ります。

結局何らかの形で子供に貢献するのですが隠れて子供の幸せを願う存在になるのです。

 

これって・・・妖精?

天国に行った人のような感じです。

 

壊れたわけでもないし、ゴミになったわけでもない。

でも役割が子供の幸せを願い貢献する存在というのが尊く履かないのです。

 

私の文章力ではなかなか表現することはできません。

ぜひ劇場でご覧になることをお勧めします。