【死人に足を引っ張られる】宗教ビジネスのクソな実態【坊主丸儲け】

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おかげさまでこのブログ

父飯男飯

が開設一周年を迎えました!!

 

いつも読んでいただきありがとうございます。

1年間ほぼ毎日更新をしてきました。

 

1年という節目で少し新しい取り組みをしようかと思います。

今回はその1回目として

 

【死人に足を引っ張られる】宗教ビジネスのクソな実態【坊主丸儲け】

 

を書こうと思います。

今後こんな感じに社会的な内容も取り扱おうと思います。

以前書いた

www.father-cooking.com

も反響いただきました。

そんな感じで社会にメスを入れてみようと思います。

 

 

【死人に足を引っ張られる】宗教ビジネスのクソな実態【坊主丸儲け】

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皆様は先祖供養をどうしていますか?

お墓がありますか?

 

お墓はある、ということは維持費がかかっていますね。

さらに何周忌の様に定期的に法要があればその都度、お布施が必要になってきます。

 

先祖供養は大事ですか?

 

私の意見でははっきり言って不要かと思います。

私はそもそも霊や死後の世界を信じていません。

 

昔は神様仏様と窮地に追い込まれるとお祈りしていました。

しかし大人になってから重大なこと。

 

私を含めて我が一族の危機に直面した際、先祖様にお願いしても何一つ状況が変わることがありませんでした。

先祖に力がないだけかもしれませんが、少なからず先祖なら何らかの手助けをしてくれてもいいのではないだろうか。

 

そんな勝手なイメージで、裏切られたことにより目覚めました。

 

死人に口無し

 

そう、死んだら無というのが最も現実的な考え方です。

 

こうなると葬儀に始まり墓の維持、法要となぜ死んだ人間に金を使わなければならないのか?

言い方を変えれば人が死んだ、その遺骨が負債となって定期的に取り立てに来るわけです。

 

生きている人に投資するのは未来があります。

病気を治すため、娯楽のため

 

何であれ生ある限り何らかの影響をもたらします。

しかし遺骨に課金し、慰めたところでもたらされるのはただの自己満足でしかありません。

 

そんな弱者から金を吸い取っているのが宗教。

はっきりいって宗教にまつわる仕事

 

お坊さんとかはゲスな商売をしていると思っています。

 

坊主丸儲けという言葉がある様に奴らは人の死と死者に対する生者の気持ちを巧みに利用し、悪徳商材の如く売り込んでいるだけです。

 

お坊さんの肥満率

お坊さんの大半がデブです。

 

4割近くが肥満気味です。

なぜでしょうか。

 

毎日の様に肉、寿司、酒を食らっている。

夕食は昼食はほとんど葬儀や法要の席です。

 

そりゃ毎日暴飲暴食に近いことをしていれば太らないわけがない。

どれくらいのデブ率か、集合写真を見ればわかります。

 

 

お坊さんの女好きにはドン引き

私は昔の仕事柄、夜のお仕事の方々と強いつながりがあります。

 

そこでよく聞く話がお坊さんがお店によく来るという話。

さらに上客で羽振りがいいそうです。

 

その反面、すぐに肉体関係を求めてきたり、ボディタッチが多かったりと気持ち悪い人も多くいる様です。

 

感覚的には金があるアピールをして金で女を買えると勘違いしているとか。

 

デブもそうですけ坊主って生き物食べたり、酒はダメだったり、女遊びはダメじゃなかったっけ?

 

 

 

さてさてデブに女遊び

この金はどこから出てくるのでしょうか。

 

そう、あなたの愛する人が亡くなったその時に支払ったお布施がこう言った使われ方をしているのです。

 

人の弱みにつけ込んだ悪徳商売

そもそも宗教とは人の弱みが生み出したものです。

また今でいる憲法や法律の元祖とも言えます。

 

何の縛りもなかった人間。

しかし社会生活というものを始めるにあたり、ルールが必要になります。

 

そのルールに従うにはどうすればいいか?

 

正解は実態の分からないものを利用し恐怖で縛りつけるということ。

 

死後の世界なんてわかりません。

あくまで空想でしかありません。

 

そこが人間の不安感を煽ります。

分からないから怖い。

 

その恐怖を利用して真面目に生きないと死んだ後地獄にいくよ。

これだけで十分な抑止力となります。

 

今でいう重大な犯罪を犯したら牢屋に入れられる、死刑になる。

怖いですよね。

これが方的な抑止力。

 

昔は法整備より宗教の方が強い抑止力を持っていました。

だから宗教戦争とかおきますし、現在も宗教を掲げた戦争がいくつも起こります。

 

宗教とは争いの元凶でもあるのです。

 

そんな未知なる死後の世界。

帰ってきた人は誰もいない。

 

死後の世界を教えてくれる親切なのが宗教です。

未知だからこそ結果がない。

未知だからこそ与えることができる恐怖。

 

人は恐怖に駆られ、宗教にすがり死後も安泰に暮らせるという補償を求めます。

 

人の不安や弱みにつけ込み、金を吸い上げる奴らを悪ではないという理由を聞きたい。

 

ブランド品、高級車がお好きなお坊さん

お坊さんの平均月収は医師と同じくらいとされています。

医師もお坊さんも人の命にまつわる仕事。

 

しかし医師の方がずっと神に近い存在です。

 

医師は多動的なものを扱う

宗教は死者という不動なものを扱う

 

難易度はどちらが上で責任もどちらが上か。

当然生きている人を治す方がよっぽど価値があり称賛されるものと思います。

 

さてそんな金を吸い上げてるクズどもが大好きなのはお金。

そして車、ブランド品と言った高級品。

 

強いて許してやれるのは美容院代がかからないことくらいですかね。

 

堂々と寺の敷地に停めているヤツもいればちょっと離れたガレージに停めている奴もいます。

意外と知られてないかもしれませんが皆さん結構いい車乗っていますよ。

 

あなたの愛する人が亡くなった。

それを供養するために支払った金で好きなものを飲み食い、高級車を乗り回し、女を買おうとしている。

 

これが実態です。

 

宗教がもたらす恩恵

とは言え、宗教がもたらす恩恵もあります。

 

先ほども書いた様に宗教は法とは異なる抑止力があります。

法よりも人間のよわみをガッツリ握っているので悪いことをしない様にと効果をもたらしています。

 

悪いことをすると必ず裁かれる

 

これは一種の宗教的しそう。

罪悪感というのもそう。

 

この様に生活の中のかなりの割合を宗教が抑止してくれているおかげで社会生活を送れています。

 

死人=負債

これが事実。

 

死人=負債

 

先祖が増えれば増えるほど負債が増えていきます。

あなたの親が亡くなってしまった。

そうすれば2人法要や入れるお墓が必要になります。

 

自分が死んだら自分の両親と、自分と、配偶者が子供にのしかかります。

真面目に法要に取り組んだら毎年誰かの何周忌になります。

 

ほらほら

負債が膨らんできましたよ。

 

さらにお寺によっては真面目に寺に尽くすと特典をもらえるところがあったりするからぶちのめしたくいやですよね。

 

供養とお金の関係

アホくさいお話。

 

仏教には死んだ後の称号みたいなものがあります。

それが戒名です。

 

死後の世界に旅立つ個人に称号をつけて送り出してやるのです。

学校に入る時に

・特待生

・推薦

・一般入試

で入ってきた学生区分みたいなものでしょう。

 

その称号、すなわち戒名は大体葬儀の金額で与えられるものが変わります。

地域や寺によって異なりますが

100万くらい積めばいい戒名

居士

院号居士

などをゲットできます。

 

お金を払うと死者をパワーアップさせることができるんですね。

 

おかしくね?

 

アホくさい。

だから死人に足を引っ張られるというんです。

 

お坊さんの巧みな話術

これは実際にあった話です。

 

60歳と若く亡くなってしまった方がいました。

その方の家は代々続く名家。

 

そして寺への寄付などもしっかり行っているいわゆる上客です。

 

葬儀の際お布施として渡した金額は100万円。

十分すぎるお金です。

 

そこでついた戒名は信士

一番下の快急です。

 

理由としては60歳と若く亡くなった。

すなわち現世での修行が完遂できていないためと説明されたそうです。

 

しかしその名家は代々居士の称号をもらってきました。

そこで初めて信士という最下位ランクを出してしまいました。

 

遺族はそれでは故人が先祖への顔向けができないのでは?と考えお坊さんに再度お願いすることにしました。

そしてその時に当然手段として使ったのが追加課金。

 

追加課金と熱心なお願いで晴れて居士の名前をいただきました。

 

 

おわかりいただけましたか?

これは心理学でも証明できる人間の駆け引きなのです。

 

値引き交渉みたいなものですかね。

 

まず初めに通常より高い金額を提示します。

その後理由をつけて安くするとお得感を感じた客が買ってくれます。

 

それと一緒です。

まずは信士という位を提示。

その後に何らかの理由をきっかけに居士を渡せば遺族は嬉しく、感謝しますよね。

そうすることでお得意さんいなるわけです。

 

クソすぎない?

いやクズだな。

 

死者へ投資する価値はない

さぁ宗教が死者を利用したビジネスというのは理解していただけたでしょうか。

 

私は墓にもいきませんし実家の仏壇に手を合わせるということもしません。

死者を削除しているわけではなく思い出は大切にしています。

 

思い出があればそれだけでよくないですか?

なぜ死者へ課金するのでしょうか。

 

それこそ一種の贅沢品だと思いますけどどうなんでしょうか。

 

先ほども書いた様にその金というのはクズどもを太らせ、遊ばせているのです。

 

私はそんなクズどもを許さない、認めない。

 

世の中にはもっと苦労をして評価されるべき人間はたくさんいます。

ぜひご自身の皆周りで宗教に関する出費などで悩んでいたら断ち切ることをお勧めします。

 

気持ちが乗らない様なら最後の手向として墓を閉じる法要、永代供養をする儀式くらいして気持ちの整理をしてみてはいかがでしょうか?

 

 

お詫び

私の中にある熱い思い

いや恨みの様に聞こえるかもしれません。

 

過激に書きすぎたと反省しています。

とは言っても事実であるとも思っているのでその点は譲れません。